“霊能者”という存在の概念
はじめに
今回のテーマである“霊能者”とは霊能者である自分にとってはとても大切な項目であり、とても説明が難しいもの。
だが、このブログを通して声を大にして伝えていきたいものでもある。
不確かなことが多い謎のベールに包まれている系職業であるこの職業は最も謎のベールに包まれていてはならない職業だと私は感じている。
霊能者にとって“霊能者とはどういうものなのか?”とはかなり漠然とした概念であることを活動や生活を通して理解してくるからだ。
今回書いていく内容は私の経験や知識、主観に基づいていることを先に述べておく。
誤解しないで頂きたいのは私の意見や考えが正しいと述べるためのものではないということ。
霊なるものに携わるということは完結することはなく、常に情報を更新し進歩していかなければならない。
この世がすごいスピードで変わっていくように目に見えない世界もかなりのスピードでその様が変化していっている。
私が覚醒したのは10年前。この10年でもかなり大きく変わった。
この世の変化が止まらないのと同様に目に見えないとされている世界も止まることはない。
1年前に仕入れた情報がまかり通らなくなることなどいくらでもある。
それ故に正しさを求めること自体が意味を持たないという認識を持って私は活動している。
だからこそこの霊能者についての概念を現在の私自身の解釈を伝える中で私自身を振り返り、次のステップへの足掛かりにしたいと考えた。
このホームページのブログを書くにあたって様々なこと、考え伝えたいことが大量に湧いてくる中で“霊能者として”の自分自身のライフワークを伝えるには端的かつ客観的に記載することが重要だと考えた。
霊能者とはどういう存在で、何ができるのか?
私の生態を文字に起こすことで霊能者の鑑定を受ける意味やメリットを読者自身に見つけてもらう為に今後も書き続けていく中で私の感情を挟んでしまうとかえって伝わりにくくなると判断した。
私なりの考察や経験談を記載する場合はこのような書き方になることをご理解いただきたい。
このような書き方をすれば小難しく捉えられてしまい、余計に伝わりにくくなってしまうかもしれないという懸念はあるが、分かりにくいことはコメントに書いてほしい。
コメントに書いていただいた内容へは情緒いっぱいに返信させていただくつもりだ。
霊能者L!RaNaが考える“霊能者”の概念とは
霊能者とは目に見えないとされている存在や事象に干渉する能力を有する者の総称だ。
ただ現代ではこの干渉する力を使って収入を得ている者をそう呼んでいる傾向がある。
霊能者と一口にまとめられるが個性や能力差は様々で、かの有名なポケモン以上にバラエティー豊か。
例えるならニンジンやピーマンなどはそれぞれ異なった栄養素を持っているが“野菜”と一括りにしているのと同じようような状態。
似た能力や考え方や知識はあれど全員違うのである。
だが世間一般的にはそうは捉えられていない。
“分かって当然”“見えて当然”“解決して当然”“全員同じ”だと思われてしまう。
全員同じだと思われていると痛感する言葉がある。
別の先生にはこう言われたんですけど
正直そうですかとしか言いようがない。ピーマンにはニンジンの見てる世界はわからないからだ。
野菜にも優劣はないし、栄養素も違う。口にする人間の足らない栄養素の状態によっても影響が違うように霊能者にも同じようなことが言える。
霊能者だって人間だ。
その霊能者が生きてきた環境や生活、経験によって見解は異なり、見ているものが同じでも解釈が異なれば見解は変わり、伝え方もそれぞれ。
伝わり方が違えばお客様の捉え方も自ずと変わってくる。
ピーマンはニンジンがどうやってできたかなんて知る由もないし、知ったところで自分がピーマンであることを変えられないし、もちろん栄養素も変えられない。
そしてピーマンは思う。『ならニンジンを食べてくれ。』
この件に関しては別記事でしっかり書いていこうと思うが、そういう言葉を言われたとしても人間同士のやり取りなのだから“相性”という言葉で括るしかないのだ。
それに加え“ここまでできれば霊能者”といったような明確な基準もないので、名乗れば全員霊能者になれてしまうという少し怖い言葉でもある。
ただ霊能者と認められる、公言しても問題ないであろう基準は“霊視”ができるか否か。
霊視ができないのに霊能者を名乗っている者は私が知る限りでは存在しない。
何かしらの方法で異世的存在を認識し、干渉している。
その中で最もポピュラーなのが霊視であり、それ以外の方法は本人でも認識しにくい為に霊能者と名乗るものは少ないのではないかと推察している。
霊能力者と表現されることの方が多いが世間一般的には“霊能者”と口にすることが多いので、私は身近な存在で在りたいという思いからこの言葉を使っている。
根本的には同じ意味合いなので、どちらを使っても問題ないと言えるだろう。
異世(ことよ)とは
異世とは目に見えないとされている世界の総称。
こういった世界を表す言葉は世界中にたくさん存在するが、何かの存在を肯定していてもまた別のものは否定しているといったことが多い。
私は大きく2つの世界に分けて考えこの世とあの世という一般的な認識に沿ってこのワードを使っているが、あの世という表現は【死者の国】という印象が強い。
その為こちらでは【この世とこの世ではない世界】と書くとする。
私を含むL!RaNaファミリーはこの世を現世(うつしよ)、この世ではない世界を異世(ことよ)と呼んでいる。
死者だけでなく、神仏や妖精、精霊などのスピリチュアルな存在だけでなく妖怪や蟲、悪魔などのオカルトと認識されている“この世にいないとされている存在が住まう世界”
それらは全て存在していると私は考えている為、全ての存在を肯定する言葉として使っている。
霊視とは
霊視とは“目に見えないとされているものを見る力”の総称。
前述した異世的存在や世界を見る力だ。
目に見えないとされているものを耳で聴きとることを“霊聴”というように各器官によって名称が異なり、その名称も地域や職種が変われば呼び方が変わってしまう。
霊視は大きく分けると2つのタイプがある。
視覚で認識するタイプと頭の中に映像が流れてくるビジョンタイプ
視覚で異世的存在を認識できる者だけではなく、頭に映像が浮かんでくるようなビジョンタイプもある。
どちらかだけと限定されているわけではなく、視覚で霊を見て、ビジョンで追うこともできる能力者もいる。
霊能者L!RaNaの霊視
私は後者のビジョンタイプだ。言い方を変えると“千里眼”
どれだけ離れていてもどれだけ時間が経っていても人の心や出来事を痕跡さえ見つけることができれば見ることが可能である。
私は完全にビジョンタイプなので視覚で捉えることは今のところない。
これは私の魂が望んだことで、視覚で霊を捉えるとその様相からトラウマになったり、PTSDを患ったりしてしまうことを懸念し、視覚で捉えないようにしたと話してくれたことがある。
見えるものは過去や運命(未来)、心の状態や健康状態、憑依はあるか否かや先祖や前世など細かく上げればキリがなく、能力者の個性が一番顕著に見られる部分でもあり、レベルが問われる部分だ。
ビジョンタイプの場合、相手の警戒心や関係性、相性によって見え方が変わることもあるのでレベルに直結するわけではないというところが難しく、誤解されやすいところなのだ。
霊視と透視の違い
霊視とは前述した通りの能力だが、透視は全く別物だ。
透視は封筒の中に入ったカードの柄を言い当てたりするのが有名だろう。
それは目に見えないとされているものを見る力ではなく、目に見えるものが見えない状態にあるものを見る力。
何やらややこしいと感じてしまうかもしれないが根本的に違うことは理解していただけるだろう。
心や運命、霊や呪い、先祖や守護霊や魂など目に見えないとされているものを見るのは霊視。
カードや顔、体格などの外見的特徴を見るのは透視なのである。
こちらも例に違わず、どちらか1つというわけではなく両方を兼ね備えている能力者もいる。
電話占いなどの鑑定士プロフィールにある得意占術に透視がない場合は未来の伴侶の容姿を聞かない方が良い。
答えられる鑑定士はいないだろう。
もし答えられ、それが合っていたのならその鑑定士は自分が透視ができるという事実に気付いていない可能性がある。
私が容姿を答えることはない。答えるとするならば守護霊の容姿や前世の容姿になってしまうので推測の域を出ないのである。
まとめ
この記事で霊能者とはどれほど曖昧なものなのかを感じて頂けたのではないだろうか。
ただ霊能者という言葉の概念は曖昧なだけで、霊能力を有する者が確実に存在する。
私が知らないような能力者もいるだろうし、これから生まれてくるだろう。
私のように霊能者の家系ではなく、突然変異で能力を持ち、それに気付かずに苦しんでいる者も多いだろう。
霊能者や霊媒師は特に昔から存在しており、現在でも先祖代々力を受け継いでいる家系があり、その血筋が優遇される部分もあるし、他の能力者と比較されることも多い。
ただ、能力者の血筋でなくともこうやって霊能者をする者もいるということを世間は知らないし、こういうことを公に伝えていくことで今後風当たりが強くなっていくかもしれない。
それでも過去の自分と同じような環境で同じような症状を持って苦しみ、生きることに絶望している人にこの記事が届いてほしいと心から願っている。
この記事だけでなくこれからこのブログを書いていくことで私を知ってもらうことに加え、少しずつでも何かを否定するのではなく、肯定する価値観を感じてほしいと思ったからだ。
この何かを肯定すれば何かを否定しなければならないという固定観念は日本だけでなく世界中にあるのではないでだろうか。
目に見えないとされている世界は見えていない、感じない方にはとても複雑なもので、否定したくなる世界でもあるということを私も経験しているし、既存の考えや常識に当てはまらないものを排除しようとするのは当然のことである。
ただ、否定されたとしても無かったことにはならない。
認められなくても、消えてはくれないものがあること、認められなくて居場所がなくなり生きずらいと感じてるものが在るということを忘れないでほしい。
私自身が元々スピリチュアルな世界に対して否定的であったし、自分の能力を受け入れられないことも他者に受け入れてもらえなかった経験もある。
スピリチュアル関係者も一枚岩ではない。むしろ関わっていない否定し合っているケースの方が多いかもしれない。
私は実際に霊能者と名乗る人間からインターネット上で吊るしあげられたことがある。
同じ能力を持っている人間ならば私を受け入れてくれると期待していたし、やっと自分を受け入れてくれる場所に出会えたと喜んでいた矢先のことだった。
私が思っていた世界とは全く違うことをその時痛感し、絶望した。
そんな経験から私は自分が理解できない世界だったとしても頭ごなしに否定はしない。否定しても何も始まらないからだ。
前述したように何が正しく、何が間違っているのかを決めることに意味などない。
意味のないことなど起こりはしない。何かがあるからそこに存在しているのだ。
そして私は知ることに意味があるのだと思っている。
知り、受け入れ、考えることで人類は発展してきた。否定が発展や進化をもたらすことはない。
科学は非科学であるスピリチュアルなものを否定する傾向がある。
科学は素晴らしい。科学がなければこの世はここまで発展しなかっただろう。
それでもスピリチュアルと科学が手を取り合うことで更に救える命や心、存在や時間があるということに一人でも多くの人に気付いてほしい。
そう願うからこそこれからも自分を例に挙げ、霊能者である私を通じてスピリチュアルな世界を理解してもらいたいのだ。
拙い文である上に勉強不足で、不明瞭な部分もまだまだある。それが今の私なのだ。
だからこそ私は知りたい。自分が成長し、一人でも多くの心や存在を助けられるようになるために。
私の試みはまだ始まったばかり。
今の私の全てをここに書き記していくのでこれからもお付き合い願いたい。
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