脱・幸せ難民!アンチ真面目論

はじめに

“Going My Way-我が道を行く”

私の好きな言葉だ。

この言葉の本当の意味に気付いた時、私は自分にとっての幸せに気付けた。

今回は完全に人生の迷子になってしまった“幸せ難民”の方からのご相談がキッカケだ。

心底困り果てるくらい頑なな姿勢にかなり手を焼いた。

どれだけ話しても、私のアドバイスは全拒否。

それは別に良いのだが、どう考えても迷いすぎていた。

以前の記事で幸せの価値観について書いたがあの内容以前の問題だった。

原因はスピリチュアル知識を偏った捉え方。

その恐ろしさを書いていく。

幸せに飢えた人からの相談

「私、幸せになる為に必死でどんな努力だってしてきたんです!!!」

開口一番こう言われた。

突然のことすぎて頭が付いていけなかった。

どんな幸せを掴みたいのかを知る為にどんな努力をしてきたのかを聞いた。

「自己啓発セミナーにもめっちゃ行きましたし、スピリチュアル関係の講演会もめっちゃ行きました」

「でも幸せになれないんです…」

私は内心“あちゃぁ~完全に幸せ難民やなぁ”と思っていました。

「どんなに幸せになる為に努力したって幸せは手に入らない!」

「もう疲れたんです!もう嫌だ!」

「でも怖い…頑張ることを辞めたら余計に幸せになれない!」

「頑張ることを辞めるなら私は幸せになることを諦めなければならないんでしょうか!?」

聞き取れたのはこれくらい。

もう半狂乱で、まくし立てるように私に叫び続けた。

ここまでの会話で1分くらいだった。

その時私は凄まじい情報量に霊視はおろか話しの切り口がわからないでいた。

幸せって未来にないかもしれないって本当?

常識を覆す発想というのはこういうことなのかもしれない。

私はブログの中で何度も幸せについて書いてきた。

幸せについての記事を書いた後も幸せ難民からの相談は相次いでいる。

このコロナ騒動が余計に不安を掻き立て、不安をモンスター化させるのだ。

その中で私は一つの仮説に辿り着いた。

幸せは未来に作るものではなく、過去にあるものなのかもしれない。

好きという感情が脳科学的には勘違いだと言われているように幸せとは一つの概念であり、万人に当てはまる答えはない。

同じように幸せとは過去から脳が学んだ情報により幸福なのか不幸なのかを作り出しているのではないか?

L!RaNaの脳内から出典(笑)

勿論これは仮説にすぎないし、私は霊能者であって科学者ではない。

もしかしたら科学の分野では当然のことなのかもしれない。

だが私はこの仮説を自分なりに立証すべく、色々な相談者から過去の話しを聞いた。

現在が幸せではないと感じている相談者の多くは家庭環境が不安定、もしくは母親からの愛情が足りないと感じていた。

自分が落ち込んでいる時に『大丈夫よ。お母さんがついてるからね。いつでも味方だからね』と言ったような言葉を掛けてもらえなかったことが多いことがわかった。

逆に責められた経験ばかりの方が多かったのだ。

「あんたがそんなこと言ったからじゃない?」

「謝りなさい!」

「人に迷惑ばっかりかけて!」

「お母さんを困らせないで。」

こういった言葉が多かった。

もちろん不安でも悲しくても抱きしめてもらうこともできない。

そもそも母親がその時に家に居ないという方もいた。

頑張っても頑張っても「もっとできるでしょ?」「こんなレベルで喜ぶな!」と言われることも多かったそうだ。

この内容を聞いていると日本のどこの家庭でもありそうな状態のように感じた。

文字にすると酷い母親のように感じるかもしれないが、これは日本では割とありふれた光景だ。

ここで大事なのは母親や家庭環境のせいにすることではない。

幸せというのは瞬間的なものであり、その感覚を持続させ、記憶に残してくれるのは幸福ホルモンなのではないかと考えたのだ。

過去を消化することなのだ。

過去を消化し、自分の糧にする。

自分がしてほしいこと、してほしかったことを自ら実践していくことが大事なのである。

何をしたって過ぎ去った時間は変えられない。

ならば、自分が幸せだと感じる未来を作り上げていく為の材料にすればいいのだ。

過去を消化し、糧にしていく中で自分が得られなかった理由がわかるかもしれない。

そうすることで納得できるようになっていく。

簡単なことではない。

必ず幸せになれる保証もない。

元々、幸せとはそういうものだ。

そもそも手に入るかも、続くかも保証はないのだ。

糧にしないという選択もあって良いと思う。

それは人それぞれの価値観であり、誰かに揶揄される筋合いはないのだから。

ただ、私が伝えたいのは私なら例え数%しか可能性がなかったとしてもどうしても求めるのであればトライするだろうということ。

過去に何もない人間なんて存在しない。

過去があり、今があるというなら過去すらも自分の為に使うくらいしたって良いのではないかと思っているのだ。

使えるものは使え。

これは私のモットーだ。

そして、ここまで読んでもらって気付いた方はいるかもしれないが、心の飢えは愛情不足からの寂しさが原因の場合が多い。

心の隙間を埋めるように何かに没頭し、執着していくようになる。

承認欲求や過剰な自己愛を持つ方にも同じような傾向が視えることが多いのだ。

幸せ≠必死

これは元・頑張り屋さんな私だからこそ伝えたいこと。

幸せになれない!と嘆く方のほとんどが頑張り屋さんなのだ。

“そんな殺生な…”と思う方も多いはず。

何事も全力でなりふり構わず必死で頑張れてしまうのが頑張り屋さん。

わたしの脳内辞書によると

幸せの対義語は不幸せではなく必死

L!RaNa脳内辞典より出典(笑)

必ず死んでいては幸せになれないのは当然か…とも思えてくる。

もはや言葉遊びとも取れるが、確かに…と思った方もいるのではないだろうか?

必死になって何かに取り組んでいる時ほど余裕がなく、確認し忘れてミスをしてしまうことがある。

これを思考に置き換えると幸せになる為に必死になれば些細な幸せに気付けないこともあると考えたのだ。

責任感や義務感は大事だが、過剰すぎると自分がわからなくなってしまう。

昔の私がそうだった。

むしろ周りに頑張っていると感じさせないことすら頑張っていた。

そして心も身体もボロボロになったのだ。

だから、自分が自分を褒められるくらいに頑張っておけば良いと私は考えるようにしている。

誰に何を言われようと10年後にそいつとずっと居るか?と言われると大体がNOだ。

なら、自分も直した方が良いなと思えたことだけ吸収し、あとは心の中であっかんべー!と舌を出しておけば良い。

そうするとあまりイライラしなくなる。

真面目に必死で働くとどうしてもイライラして不満が付きまとう。

幸せになりたいと願うのであれば、必死にならないことが大前提と言える。

ダラダラすることとリフレッシュは別物?

頑張り屋さんが一番苦手なこと…それはリフレッシュ

ストレス発散が物凄く苦手な方が多い。

ストレスが溜まるとダラダラしてしまうのだ。

休日はダラダラ、寝る前になって後悔する…という方は多いのではないだろうか?

そういう私もその中の一人だ。

そして余談だが、寂しがり屋さんも多い。

ダラダラすることとリフレッシュをはき違えている場合も多いのだ。

休む=リフレッシュ

自分を休ませる=ダラダラ

言葉にするとわかりやすい。

ただ、身体を労わる為に必要なのはダラダラで、心を労わるにはリフレッシュが大切。

リフレッシュとはストレス発散。

リフレッシュとはrefresh。

reとは再び、freshとは新しい・新鮮な・加工していないという意味があるらしい。

それをそのまま繋げて考えると“再び新しい、新鮮で加工していない状態になること”となる。

私はリフレッシュ=休む=ダラダラと考えていた人間だ。

そう。

真逆なのだ。

リフレッシュとは今までの自分が知らなかったことやできなかったことをすることによって得られる状態のことを指すのだ。

頭や心を動かすことによって人間は復活できるのである。

楽と楽しいは全く違う。

楽しいことを見つけることが心にとって一番の治療であり、療養になるのではないかと私は考えた。

自分の全部と向き合ってみよう!

人を人たらしめるのは心と脳だと私は考えている。

自分を形成しているものをざっくりと分けると心・脳・身体

私はイメージの中でこの3つに人格を与えてみるのだ。

こいつはどんな性格かな?

何が必要なのかな?

何を求めているかな?

そんなことを考えながら話しかけてみる。

「ねぇねぇ、何がほしい?」と私が聞くと身体はこう答える『目がイテェ。』

「あーパソコンとかスマホの触りすぎかなぁー」と私が返すと『いや、霊視もな!』と脳が答える。

「え!?霊視って脳内だけじゃないの!?」と私がまた返すと『脳も身体も心も使っているのよ』と心が答えるのだ。

え、こいつやべぇ。と思った方も多いと思う。自覚はある(笑)

子どもの頃にした空想のように語りかけてみるのだ。

でもこうすると客観的に自分の事を考えられるようになる。

欲やエゴ、自意識に惑わされることなく自分が本当に求めていることがわかるのだ。

心が寂しいと言うのであれば、誰かに会いに行こう。

脳が疲れたと言うのであれば睡眠を。

身体が辛いというのであればマッサージや整体、お風呂に使ってみるのも良い。

ありのままの自分になるというのはこういうことかもしれない。

私はやばいのではない。

ぶっ飛んでいるだけだ(笑)

騙されたと思ってやってみてほしい。

まとめ

幸せ難民はかなり多い。

そしてその自覚は皆無と言って良い。

表現はかなり悪いが餓鬼のようになる。

餓鬼とは簡単に説明すると酷い飢餓状態で亡くなった者がなることが多く、常に飢えている。

餓鬼は目の前に食べ物があったとしても食べることができないと言われている。

食べ物を持つと腐ってしまうとも言われているのだ。

現代の日本は食糧がなくて飢えるということは昔より明らかに減ってきている。

むしろ余り過ぎて、食糧に溢れている。

現代日本に多いのは心の餓鬼化。

欲しい、欲しいと思って必死になって手に入れても手に入れた瞬間に興味がなくなってしまう。

心が満たされることはないのだ。

こういう人が増えている。

幸せを求める反面、幸せでない自分を認められない。

幸せを求めすぎて、幸せな自分を認めてあげられないという2つを合わせ持っている人が多いのだ。

私はこの状況を人に話す場合によく使う例えは“愛情を入れる入れ物が壊れている”と表現する。

冷静な状態でこの内容を読めば、矛盾しているように感じるだろう。

だが、人間とは意外と矛盾していることが多い。

それは動物よりも知能が高く、たくさんの情報を脳が処理できるから。

要は満たされているからこその渇きとも言える。

スポーツなら上手くなりたい、強くなりたいと思うなら練習をするはずだ。

練習をたくさんし、ある程度形になったと感じると人は誰かと対戦したくなったり、評価を求める。

そうすれば自分の成長が目に見えてわかる。

でも幸せとは形がなく、一種の思想とも言える。

形がないからこそ誰かと完全合致することはない。

目に見えてわからなければ、認めることができないものなのだ。

だから幸せであっても幸せだと認識できないのは致し方ないのだ。

今回の相談者である幸せ難民の方を例に挙げる。

たくさんのスピリチュアルや自己啓発のセミナーに赴けるだけの行動力と計画力と経済力がある段階で幸せなのではないかと思う。

幸せ難民を作る大きな原因はあるものに気付かず、無いものにばかり目に付く心や脳が不幸感を煽っていることと言える。

大切な人が生きていて、笑い合える時間は何物にも代え難いものだということの本当の意味に気付けば、自分がしてきた努力が自分を苦しめていることに気付ける。

多くのモノさえ欲しがらなければ、心が飢えることはないのだ。

まずは自分を許すこと。

自分の身の丈に合った幸せで良いと思うこと。

いい加減だと自分を責めるのではなく、自分にとっての“良い、加減”を見つけるキッカケにしてもらえればと思う。

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