恋愛について考えてみた

はじめに

今回はスピリチュアル要素ゼロ。

最近対面鑑定の内容が多かったので少し休憩。

どちらかというと今回は心理学や精神的なものに近いかもしれない。

この内容を書こうと考えたのは“彼は私のことをどう思っていますか?”という相談内容があまりにも多いから。

そんなことが気になるのかぁ…ぶっちゃけどうでも良くね?と思ってしまう私は途轍もなく男っぽい性格だからなのだろう。

実際に日本男性は言葉下手、表現下手がかなり多いのが現状。

その一方、言葉がないと安心できないのが日本女性である。

では恋愛とは何なのか。

まずそこから始めたいと思う。

恋愛とは

「特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持を持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態」

『新明解国語辞典』(第4版)

この国語辞典インパクトがすげぇな…と思ったので引用してみた。

特定の異性に対して特別な感情を抱くことが全てもの始まり…。

この特別な感情とやらが様々なトラブルを引き起こす。

彼(彼女)が自分をどう思っているかが気になるのは、自分は特別な感情を持っているのに相手が持っていなかったらどうしよう…という思いがそうさせていることが分かった。

愛されたいのは何故か考える

これはかなり個人的見解全開なのだが、愛されたい=承認欲求が強い=自己肯定力が低い状態にあると考えている。

自己肯定力が高い状態にある者は何もないのにそもそも愛されていないかもしれないという考えにはならない。

そして愛されることを過度に求める人ほど、自分からはあまり表現していないことが多いように感じる。

重いと思われるかもしれない…嫌われるかもしれない…そう考える。

これが私が自己肯定力が低い状態だと判断する材料になっている。

先に言うと重いと思われるという考えに捉われてしまうと無意識に後出しを狙うようになってしまう。

どうして愛されたいと望むのに自分から愛情表現をしないんですか?と問うと、

『表現して良いかわからないし、重いと思われたくない。捨てられたくない。』と十中八九答えるのだ。

その時誰も相手が同じとは考えないのである。

ジャンケンなら明らかなる反則だ。

不思議なことに重い、嫌われたくない、捨てられたくないとは考えても、後出しされた側の気持ちについては考えないのだ。

“俺(私)が言ったから言わざるを得なかったのかな?”という不安を抱かせてしまっているとは思わないと言う。

本当に特別な感情がある相手に対して自分はしたくないから相手にさせたいという気持ちを持つのだろうか?

伝えるのが怖いのは傷付くことが怖いから。

それは勿論理解できる。

誰だって自分を曝け出すのは怖い。

受け入れられなかった時のことを考えると怖くなるのは当然だ。

私も経験がある。

だが、その観点を持っているということは相手が傷ついても良いという考えがないとこういう発想にはならないのではないだろうか。という考えに私は辿り着いた。

ただの自己保身なのではないか?と。

少し極端すぎる発想かもしれないが後出しジャンケンで考えるとわかりやすい。

絶対に負けたくないから後に出そうとする。

ということは相手は負けるべきで、自分は勝つべきだという発想がないと成立しない。

そこまであくどいことを考えながらジャンケンをする人はいないとは思うが絶対的勝利に固執していると言える。

愛されること=絶対的勝利という方程式があるのだろう。

絶対的勝利とは非の打ちどころがないくらい完成された勝利。=真実の愛を求める気持ちということだと考えた。

その方程式が本当に成立し、有効な考えなのであれば晩婚化も起きなかったかもしれないし、離婚は今よりももっと少ないのではないだろうか。

そして両者が後出し希望であった場合はどうだろうか?

全く現状が動かないことになる。

そうなれば誰だってヤキモキする。

例えば給食の残り物を賭けたジャンケンで両者が後出し希望で両者が一歩も引かない状態だと給食の時間は終わってしまう。

それはつまりタイミングを逃していることになる。

すごく食べたい給食だったからこそ後出ししてまで勝ち取りたかったのに給食の時間が終わってしまえばもう食べられない。

それは試合に勝って勝負に負けているということではないだろうかと私は考えている。

愛されたいという気持ちと愛するということはイコールではないかもしれないという可能性を見出した。

愛することとは何かを考える

これも個人的見解全開なのだが、私にとって愛するということは相手のことを一番に考えることだと思っている。

相手が幸せになる為には?

相手が生きやすくなるには?

相手がまた笑えるようになるにはどうすればいいのか?と考え始めた時に自分の感情を認識する。

そしてそれからどのようにすれば相手と自分が一番楽しい時間を過ごせるかということを考えるのである。

私の以前の恋愛は独りよがりだった。

嫌われたくなくて、自分の気持ちが相手の負担になってしまうかもしれないと考えていた。

だから言えずに相手の言いなりになることが相手に好かれる一番の近道だと思い、従い続けたこともある。

それは物凄く辛い恋愛だったと記憶している。

逆の立場で考えると相手の好意や気持ちを負担に感じるだろうか?

言いなりになってほしいと思うだろうか?

私がこれを考えた時、自分は相手の好意を負担に感じたことはないし、負担に感じた場合はしっかり話し合って折り合いをつけようとするだろうと考えた。

自分の気持ちや状況、環境をしっかり伝える。

ここは答えられない、この点は自分も同感だと話し合うだろうし、話し合える関係でいられるパートナーで在りたいと考えたのだ。

なら、今自分がしていることはこの理想からかけ離れている。

自分の気持ちを負担に思う男だと勝手に決めつけていたことに気付いた。

私は相手を心から信用していなかったのだ

ここでL!RaNa節が炸裂する。

“そもそも気持ちを負担に思うような男と一緒になれなくね?”

なら、いっちょ言ってみっか!!(悟空風)と思ったのだ。

みんな違ってみんな良い

愛とは凄まじく色んな捉え方があり、相手が変われば関係性も大きく変わる。

もはやこの世最大のテーマとも言える。

一つとして同じものはないのである。

みんな違ってみんな良い。

違って当然なのだ。

だからこそ自分を表現することで絆を結ぶキッカケを作ってあげる。

自分はできないけど相手はできるという道理はない。

誰だって確証が欲しいと思うし、確証がないとなかなか前に進めない。

求める前に与えろ。

名を知りたくば自分から名乗れ的なニュアンスでよく使うが、結局のところ自分が求める愛は自分から発信しないと手に入らないのではないかと思った。

どんな伝え方が正解で、どんな行動が不正解かなんて恐らく神様ですらわからないのではないかと思う。

想っている相手だからこそ受け取れる気持ちもあるし、想っている相手だからこそ受け入れられない気持ちもある。

そういったことを繰り返して絆を結んでいくのではないかと思う。

その絆がご縁を強化し、未来を紡ぐ礎となっていくのではないだろうか。

彼(彼女)と自分は別の人間。

知らなくても、わからなくても当然よね。

だから自分のことを教えてあげよう!という気持ちでいれば、怖いなんて考えは浮かばなくなる。

何でわかってくれない!?という者は男女共にかなり多い。

愚問である。

そして甘えなのだ。

聞いたこともない外国語を理解できないことを責められているレベルで理不尽なのだ。

歩き始めた赤ちゃんに対してバク宙できないのは何故だ?と疑問に思うレベルでもある。

知らないことはできないし、自分のキャパを超えている可能性だってある。

求めるのではなく教えてあげる。

求めたいならまず与えること。

与えてもらえないのにも与えられるのにも理由はあるのだ。

相思相愛とは何かを考える

相思相愛なんて素晴らしくメルヘンな響きに感じるが、実際に存在すると思う。

私が思う相思相愛とは完全なる愛ではなく、平等対等な関係

支えて、支えられる。

補って、補われる。

過不足なしの状態なのではないだろうか。

その平等な関係の中にやっと真実の愛が育つ環境を整えられるのではないかと考えている。

それは一朝一夕で手に入るものではない。

1秒1秒を積み重ね、一緒に笑い、一緒に泣き、喧嘩をしても話し合う。

自分の気持ちを伝えて相手の気持ちを聞くという時間をたくさん費やしたからこそ得られるものだと解釈している。

相手にとって何が一番ベストか?

自分にとって何が一番ベストか?

どちらかが犠牲になるのではなく、お互いの気持ちの間を取り続ければそこまで大きな不満は出てこない。

思いやりと気配り。相手の立場に立って考えるということがお互いにできていれば相思相愛に近づいていけるのではないかと感じている。

L!RaNaの愛情表現とは

私は基本的に何事も直球で先手必勝

喧嘩の話ではない。

恋愛の話だ(笑)

こんな考え方になったのは過去のしんどい恋愛を経て、今のパートナーに出会ってからだ。

私は毎日思い立った時に気持ちを伝えるようにしている。

隠さない。

好きな気持ちも腹が立ったことも悲しいことも悩んでいることも全部言うことにしている。

何でこうしてくれないの?とは絶対に言わない。

まず、自分からするからだ。

そしてしてくれないのには必ず理由がある。

人は鏡。

何故してもらえないかは自分の中に原因があることに気付いた。

同じことをしてほしいと伝えれば相手は自分の求めていることに気付くし、意識的に与えていないのであれば理由を教えてくれる。

思ったことを相手に受け取ってもらいやすいように工夫はしているつもりだ。

この接し方を実践していく中ですごい変化が訪れた。

不安や心配が無くなったのだ。

私のような体質だと“何でもわかる”と思われがちだが、私の場合恋愛は別。

主観が入ってしまうようなことは分からないのである。

むしろ脳が知ることを拒んでいる気もする。

知らぬが仏という言葉があるように知って悲しい思いをすることが多かったのが原因かもしれない。

それでもわかってしまうことがある。

だから中途半端に情報が入ってきてしまうと大変だ。

尋常ではない不安と心配に駆られるのだ。

それがなくなったのは私にとってとても大きい変化であり、有り難い恩恵なのだ。

相手を傷付けないように、相手が責められたと感じないように配慮はしているつもりだ。

パートナー自身はどう感じているかはわからないが(笑)

いつかインタビューブログを書きたいものだ。

まとめ

人間には色んな価値観があり、みんな違ってみんな良い。

ただ私が何が伝えたかったかというと“素直になることの大事さ”

恋愛とは自分を知ったり、成長したりする機会・チャンスなのではないかという結論に至った。

私は何も言わずして相手がしてくれたことで愛情を量ろうとしていた時期がある。

その時は相手がしてくれなくなった瞬間に“気持ちが冷めたのではないか”と猛烈に不安になっていた。

だが、今は自分の気持ちや思いや求めることを言葉にして相手に伝え、相手が答えてくれた時に感じられる愛情の方がしっかりと心にどっしり積もっている。

自分の気持ちも相手の気持ちもブレたりしない。

親しいからこそ甘えたり、どうにもならない感情をぶつけたりする。

それは相手を信用し、心を許しているからかもしれない。

それでも本心が伝わらなければ良好な関係は築いていけない。

本当に大切に思うのであれば重いなんて思わずに冷静にしっかり自分の気持ちを伝えることは大切なのではないだろうか。

本当に愛されたいのであれば相手の思い通りにすればいいと考える者も多いが、ゆくゆくは本当の自分を愛されないことに悩み、苦しんでいく。

「こんなにあなたの為に頑張ったのに」と言うのはエゴである。

「こんなこともできないなんて俺(私)のことを愛していないのか?」という者は愛する人ではなく支配者だ。

これは良好な関係とは言えない。

“幸せになりたい”と人は言う。

だが、幸せになりたいという者ほど「幸せとは何か?」という問いに答えられない。

分からないから求めるのだが、わからないから苦しむ。

手に入った感覚を掴めないのである。

この症状は餓鬼と一緒。

常に幸せに飢え、求め続ける。

満足できないことを嘆き、間違った無償の愛を信仰し、盲信し、自分を見失っていく。

最近そういった相談がかなり増えてきた。

幸せとは1秒1秒を笑って過ごした先にあるものだと私は解釈している。

結婚したから幸せということではない。

昔の人は結婚は墓場だ!と言っていた。

確かに墓場だと思う相談も多い(笑)

墓場だと言われた結婚が今や幸せの象徴にまで昇格できたのはメディアとスピリチュアル信奉者の努力の賜物だろう。

愛が幸せを作るのではなく、幸せが愛を育むのではないかと私は考えている。

今回は現在の私の考えであり、また違った経験をすれば考え方が変わっていくだろう。

その時は恋愛について考えてみた(進化系)を書きたいと思う。

お楽しみに!!!

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