“やってやんよ!!ーインディゴチルドレンの挑戦”

はじめに

今回は悲壮感MAXの内容に打って変わり、私の経験を基に皆様には学んでもらう

今回は黒りらなが顔を出し、少々過激な表現が飛び出してくる可能性がある。

優しい言葉を掛けてほしい方は違う方のブログに変えた方が良い。

では、準備は良いだろうか。

それでは始める。

前回のおさらい

前回の記事

私、霊能者が占う店SRsalon MEDIUM 鑑定士L!RaNaは高確率でインディゴチルドレン、つまり特殊な使命を持った人間である。

その影響で幼少期にたくさんの混乱と心の傷、そのことから上手く愛情を受け取ることができずに孤独感を抱えていた。

20歳の冬に覚醒し、今に至る。

そのことから鑑定士L!RaNaは何を学び、何を目的として考えているのかを述べていく。

大人になったインディゴチルドレンが思うこと

生きることは辛くて当たり前

“生きることは辛くて当たり前”

なんてネガティブな発言なんだと思った方は要注意だ。

現実から目を背けていると断言できる。

『いつか自分の人生には幸運が待ち受けていて、この気持ちが報われる』

そう自分の人生に期待しているからネガティブだと感じる。

他力本願になってしまっている。

そこに仏教的なエッセンスを入れると他力本願は自分は報われて当然という驕りだ。

上記の言葉は過去の私が常に思っていたことなのだ。

実はこの言葉は少し足りない部分がある。

(自分の人生を生きていない人間は)生きることは辛くて当たり前

覚醒して11年が経ち、その中で強く思うことがある。

自分を知ることは何よりも大切だということ。

もちろんインディゴでなくても必要なことではあるのだが、インディゴチルドレンにとって知ることは生きることに繋がる。

生きることは辛い。

そんなこと誰もがわかっている。

辛くて当然であり、辛くあるべきだと今の私は思っている。

辛さから逃げてきた人間を多く見て来た。

現実逃避をする為に利用されたことだってある。

だからこそ、辛さを嘆いている間は自分の人生と向き合っていないということに気付いたのだ。

特別な役割であろうとなかろうとどんな役割があったって結局は人間は社会と繋がっている。

繋がろうとしない、馴染めないのは自分を知らず、扱い方を知らないからだと私は考えている。

厳しいことを言うと、

社会性すら身に付けられない人間が特別な役割を成し得られるわけがない。

想像してほしい。

プライベートがぐちゃぐちゃな人間に仕事ができる人間はいるだろうか?

衣食住もめちゃくちゃ、不衛生で不潔な人間が認められる会社がどこにある?というような感じだ。

もちろんこれは極端な表現だ。

だが、あながちぶっ飛んだ例ではない。

心がその状態になっていると考えてほしい。

私は自分の魂にこの言葉を言われ、衝撃と屈辱感を感じ、本気で生きる覚悟が決まった。

その考え方めっちゃ嫌い。

全力で負け犬やってんなぁ(笑)

だっさ!!!(笑)

爆笑しながら、やたらなじられた。

これはほんの一部にすぎない。

今思い出すだけでも腹が立つ。

馴染めず、生きづらいのは自分が特別な役割を持って生まれてきたからだという人間をたくさん見て来た。

だが、特別な役割を持っていることと特別な存在であることは別だ。

そこに気付けた時、私の中で大きく何かが動いた。

私自身がそうだったから言おう。

生きづらいのは自分が特別な役割を持って生まれてきたからだと考えている方は今すぐその考えは捨てた方が良い。

その考えを持っている以上、持っているであろう特別な役割も能力も一生開花することはないし、騙されやすくなる上に孤独からは受けられない負の無限ループを生むだけだ。

安心してほしい。

あなたは普通の人間だ。

そして私も普通の人間だ。

社会があなたを拒否しているのではない。

あなたが社会を拒否しているのだ。

まずは世間一般的な生活を自分で送れるようになってから役割を意識することをお勧めする。

自分を誇りに思うこと。

これが大切だ。

本当に生きることや自分としっかり向き合ったインディゴチルドレンは自分で特別であることを誇りになんて思えない。

そして思う必要なんてないと私は思う。

では、何を誇りに思うべきかというと何かを起こすことができるということだ。

人間は何かしようと思えば何かしらの行動ができる。

自分が思い描く自分になる為に自分にとって何が必要で何が不必要なのかをしっかり見極め、しっかり前を向く。

信念を持ち、思いやりを持つ人間を世間は拒否しない。

世間が拒否するのはいつだって自己中心的な人間だと私は思う。

逆を返せば、自分が社会を拒絶しているということは自分が自己中だと知っているということだ。

社会と世間は違う。

だが、繋がっている。

社会で許されることが世間では許されないことはよくあることだ。

ならば、社会や世間に拒絶されない自分を作ればいい。

相手の立場に立って考えれば良い。

その時に自分がしてほしいことを実践すればいい。

きっとわかっているはずだ。

自分が社会に馴染めない理由を。

そこに向き合った時、そして自分が変われた成果を実感できた時に自分を誇りに思う。

この世に必要ない存在なんて存在しない。

人間でも動物でも植物でも物でも出来事であっても全てだ。

この世に存在するものはこの世が存在する上で必要なパーツなのだ。

それだけは変わらない真実であり、事象。

パーツであることは決して悪いことではない。

むしろ喜び、努力する原動力にしてほしい。

そして生きているだけで“何かに貢献している”という事実を知ってほしい。

“生”という一秒を重ねられることがどれだけ尊いことなのかを知ってほしい。

しっかりそこを理解できた時、自然と誇りに思えるようになると私は感じている。

運命だけには絶対負けんな。

運命からは逃げられない。

だが、運命は変えられる。

逃げれば、あとで利子が付いて返ってくるが、変えれば話は別。

自分の望む未来を想像しよう。

そして自分が望む未来を手に入れる為に何が必要か計画を立ててほしい。

もちろん簡単なことではない。

人生に簡単なものなんて存在しないのだから。

自分の望む未来を作り出すのは手の中に今ある運命。

それは選択肢だ。

どうすれば楽しめる?

どうすればワクワクできる?

それを基準に人生の選択肢を選んでほしい。

そして自分の人生に起こること全てに自分は向かっていくんだという覚悟が決まった時、あなたの運命はあなたの手で切り拓かれていくのだ。

まとめ

今回は前回と打って変わってなかなか挑戦的な内容を書いてみた。

人生を悲観することは簡単だ。

何故なら人生は辛いものだからだ。

それをいかに楽しむかということが生を受け、学ぶべきことの必修科目とも言える。

自分の人生を見つけた人間にとって人生は辛いものではない。

ワクワクするものに変わっていく。

これはインディゴチルドレンに大きく出る特徴ではあるが、実際は多かれ少なかれ生きていれば感じることなのだ。

自分の意思だけでどうにもできないことだってもちろん存在する。

なら、他者に手を借りれば良い。

自分だけではどうにもできないのであれば、それも一つの手だ。

自分がワクワクできること。

そしてそれを実行した時、相手や周囲が笑顔になれることをやってほしい。

それが私が思う特別な存在だ。

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