難しい問題だなぁーと感じたことについて述べてみようと思う。【対価】
はじめに
ネットで突然出てきた記事を読んでいたら、驚く内容が出て来た。
“霊能者は金銭を受け取らない”
これには心底驚いた。
りらなファミリーでは考えられない発想だ。
だが、内容を読んでいて納得した。
お金に目がくらみ、金の亡者と化す者が多い。
確かに実際そういう人間を目の当たりにしたことがある。
私もそうはなりたくないという気持ちが強く、危ないこともしたくなかったから10年間、霊能者になることから逃げていた。
だが現在、霊能者として活動しているとそんなことは自分の在り方次第だと思っている。
お金に執着しなければ良い。
必要としている人にあげれば良い。
お金でも物でも。
それで喜んでくれることを喜べる自分で居続ければ良い。
それだけなのではないか?と思うのだ。
お金も物も形あるものは自分が死んだら無かったものと同じ。
なら、記憶に変えれば良い。
死ぬその時に思い出せる笑顔が多ければ多いほど良い。
そんなことを思っている私がその内容を読んで私が感じたことを書いていこうと思う。
今回のテーマ:神事でお金はもらうべきではないのか?
霊能者は神仏と関わることも多い。
なので、職業は神事という括りになるらしい。
では、神事でお金はもらうべきではないのか?
私はそうは思わない。
そして金銭を受け取るなと神仏から言われたこともない。
そもそも神仏はお金を大切なものだとは思っていないらしい。
私に人間の師匠はいないが、常々りらなファミリーに言われている言葉がある。
釣り合いの取れないものはいつか綻びが生じる
生じた綻びはなかなか修繕することは難しい。
だから綻びが生じないように努めることも仕事の一つ。
そう教わってきたのだ。
神仏は対価を求めないという記述を読んだこともある。
私の経験上では、そんなことは有り得ない。
人間が対価と感じるもの(物質的なもの)を要求してくることがないだけで、それ以外の要求はしてくる。
霊能者りらなが驚いた神仏からの対価請求
私が驚いた対価の支払いは『お前が一番幸せだと感じた時の話を聞かせてくれ。』
これは驚いた(笑)
私はこう答えた。
『今です。』
その神仏は目を丸くして驚いた後に爆笑し始めた。
何故笑うんですか?
私は今の生活にも人生にも大変満足しています。
それだけでも幸せなことなのに私がこの力を持っていなければ、こうやってあなた様と出会うことも話すこともなかったでしょう。
そして出会うことも話すこともなかったはずのあなた様に幸せな気持ちを思い出す機会をいただけた。
こんな幸せなことはそうそうありませんよ。
と話したら、フワッと笑って『そうか、それは何より。』と言い残して帰って行かれたのだ。
あと別件ではこんなことも言われたことがある。
『歌ってくれないか?』
ん?何事?(笑)
むしろ何を歌えば?という話。
そんなこともある。
神仏は賑やかな空気や楽しいことを好む方は多い。
だから私は全力で歌った。
大好きなアニソンを(笑)
神仏はアニソンを知らないらしい…。
だが、響いたようだった。
アンコールも頂いた。
対価オーバーですよと笑ったら、『お前様の声は心地が良い。次の依頼を考えておこう』と笑って帰っていかれたこともある。
そんな感じだ(笑)
私が聞いた話によると…
神仏と人間は常識も領分も違う。
神仏にも干渉して良い範囲とそうではない範囲が存在するという。
神仏が干渉できないが、どうにかしてあげたい場合、私のような者の所に来られる神仏がいる。
基本的にシッキー達が神仏の御用聞きをしているが、人間には人間が良いということで鑑定などは私が受けている。
私はその場では何もしない。
話を聞くだけだ。
そうして私は必ず『お店に連れてきてください』と伝えるのだ。
神仏は私に頼み事をする。
私は自分の能力が1時間あたり16,500円(1分250円)という風に算出されているので、ご来店された相談者の方にその金額を頂く。
私は生活ができるので、私を信頼して連れてきてくれた神仏に感謝をする。
神仏が私の仕事に満足すれば、また次がある。
それが霊能者が占う店SRsalon MEDIUMのシンプルなシステムだ。
これは人間にも当てはまる。
高いと思えば当店には足を運ばないし、ご来店いただいても私の仕事に満足いかなかった方は一生私の元には訪れない。
私はそれで良いと思っている。
1分250円が私の価値。
それ以上でもそれ以下でもない。
その中で自分が全力を出す。
その全力にこそ1分250円の価値が発生するのだ。
それに対して得た金額は得るべきものだと私達は考えている。
それが私が至る所で口にしている“等価交換”なのだ。
もちろん私が1分250円の女であることに納得しているわけではない(笑)
自分の価値を上げることに終着点なんてないのだから。
等価交換:等しい価値を有するものを相互に交換すること。
日常に置き換えると物を購入する時に起こっている。
コンビニで水を買ったとする。
金額は100円だった。
水が欲しければ100円を支払って購入する。
これが等価交換だ。
購入者にとって違和感なく100円を支払うということは購入者にとってその水は100円の価値があるということ。
だが、コンビニで買う100円の水が高いと感じる者はスーパーで94円の水を購入する。
購入者にとって違和感なく94円を支払うということは購入者にとってその水は94円の価値があるということ。
上記を読んでいたらわかる通り、価値とは常に変動する。
すごく曖昧なものなのだ。
こういった曖昧なものは必ず争いを生む。
その価値をできるだけ一定にする、基準にする為にお金というものができたらしい。
何かを得れば、何かを失う。
こんな当然なことに名を付けると“等価交換”という言葉になるのだ。
【ココ大事だよポイント】
神事視点での話しだが、神社に設置されているお賽銭箱は神様にお金を払っているわけではない。
前述した通り人物にとってお金という物質は何の価値もない。
ただ、人間にとってはとても価値のあるもの。
自分の願いを聞き入れてもらうことに対して感謝の意を表するのにお金というものが一番わかりやすい。
毎月手に余るほどの金額を稼いでいる人間が出す5円と明日暮らせるかどうかわからないような人間が出す5円では全く価値が違う。
一応お賽銭は5円以上と言われてはいるが、お金でなくても良いのだ。
ただ、神社運営という部分では話は別なので、お金で感謝を伝えるのが良い(笑)
金は天下の回りものだ。
霊能者が占う店SRsalon MEDIUMの絶対ルールは等価交換
当店においてこの等価交換は絶対ルールだ。
だが、当店は安くない。
それも理解している。
そして当店が提示した金額は変えられない。
その時、その状態に対して私が動くことの価値を提示している。
だからこそ無理強いは絶対にしない。
選ぶのは必ず相談者(お客様)なのだ。
人が何かを選ぶ時、そこには必ず責任が付きまとう。
私はよく優しいと言われるがそうではない。
自分で選ばせているのだから、責任を自分で取れと言っているのだ。
崇高な人間でも崇高な精神も持ち合わせていない。
私は神仏の為に生きているわけでも、働いているわけでもない。
そして人の為に生きているわけでも、力を使っているわけでもないのだ。
私は私の為に生きているし、私は満足できる仕事だけをする。
もちろん、納得できる仕事ができない場合はお金はいただかない。
私は霊能者と名乗っているが神事をやっているという認識はない。
そして私自身、霊能者と名乗れと言われたこともない。
『神事でないのならお前は霊能者ではない!』と言われれば、「そうですか」と答える。
お客様にもお伝えしたことはあるが、私がやっていることは商売だ。
日本語で一般的に知られている目に見えないものを扱う職業名が霊能者だっただけで、霊能者という言葉に何の思い入れもない。
ただ…高額な仕事の後、りらなモードではなく、プライベートモードの私は手が震えることはある(笑)
そして挙動不審になる。
根本的に私はビビりなのだ…。
私は私が全力でできることをするだけの人間。
私は至る所で話す『神仏に霊能者になれと言われた。』というこの言葉。
厳密には違っている。
『お前はお前が持っている力を使え。それを生涯の生業、使命としなさい』
そう言われたのだ。
霊能者になれとは一言も言われていない。
私が“なら霊能者だな。”と判断しただけ。
職業名なんて何でもいい。
気持ちが良い仕事ができれば何でも良いのである。
生業=仕事=対価をもらうこと
それをしろと言われた。
そして生きる為にはお金がいる。
お金を稼ぐ=商売
なら、私がやっていることは神事ではなく商売なのだ。
だが、商売だからといってあくどいことはしない。
自分に嘘はつかない。
周囲にも嘘はつかない。
自分が好きな自分、誇りに思える自分でいる為の誓い。
私にとって自分が好きな自分、誇りに思える自分でいる為にできることは“人を笑顔にすること”
あくどいことをして笑わせられるわけがない。
その信念がある限り、私は私に視える真実だけを伝えるのが私の仕事だ。
神仏公認で商売しているただの人間。
それが鑑定士L!RaNaなのだ。
まとめ
スピリチュアル関係は様々な意味ですごく難しい。
霊能者と一括りに言っても、その差はまちまちなのが現状だ。
そして考え方もそれぞれだろう。
そしてお金に対する価値観も様々。
霊能者が占う店SRsalon MEDIUMはきっと今後値段が上がっていくことだろう。
それは私の価値が上がったということなのだ。
ということは私ができることが増えたり、深まったということ。
今はまだ1分250円の価値しかない。
この世の理にそう判断されている。
そして今後、私のこの考えや私の行いが間違っていたり、憑依によるものであるなら私はいつか失墜するだろう。
繁栄し続けるのなら、繁栄している間は私の行動は間違っていないのだろうと考えている。
神仏やこの世の理に沿って生きると決めたからには、そんなことは許されないし甘くない。
その考えが合っているかはわからない。
そして正解なんてないのかもしれない。
ならば、自分が好きな自分、誇りに思える自分でいることが私にとって正解なのではないかと考えたのだ。
間違っていて、失墜したのならその時に反省すれば良い。
生きている限り、何度だってやり直せると私は信じている。
私は毎秒、自分を信じてくれる人、頼ってくれる人の為に頑張ることしかできないのだから。
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